10日間の瞑想修行がもたらした人生の大きな変化(後編)
音声配信を文字起こしをしています
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こんにちは、JAYです!
今回もお付き合いいただきありがとうございます。
このブログでは、「人生が終わるどころか、全開になる」をテーマに、僕の体験や気づきをシェアしています。
そんなコンセプトでお届けしておりますので、ぜひ楽しんでいってくださいね。
さて、前回にお話しした「1日10時間の瞑想を10日間続けたら、どんな変化が起きたのか」というテーマですが、今日はその続きをお話ししていきたいと思います。
まだ前回の内容を聞いていない方は、この話の背景や流れが少しわかりにくいかもしれませんので、ぜひ時間があれば前回の内容もチェックしてみてください!
前回の内容はこちらになります!↓
何もしないことへの恐れと向き合う瞬間
はい、ということで続きをお話ししますね。
瞑想の1日目、2日目、3日目と進んでいく中で、石を一つずつ積み上げ、そしてようやく4日目を迎えたところで、「ああ、ここまで来たか」と思ったんです。
4日目になると、少しずつ瞑想のやり方というか、その感覚が自分の中でわかり始めたかな、と思えるようになりました。
ただ、それでも一日中頭の中ではぐるぐると絶えず思考が巡っていました。
「ああでもない、こうでもない」と考えることが次々と浮かんできて、その中で、自分がいかにたくさんのことをシリアスに考えているか、ということに気づいたんです。
その思考の多くは仕事に関する心配事でした。
「俺、このままで大丈夫なのかな」
「早く何かやらなきゃ」
という焦りや不安がずっと頭を支配していました。
振り返ると、僕はそれまでずっと仕事を休むことなくやってきて、たとえ少しの休みがあったとしても、完全に何もしないという日を過ごすことなんてなかったんです。
もちろん、ダラダラする時間があったとしても、頭の中では何かを考えたり、次にすべきことを気にしていたんですよね。
でも、この瞑想では、ただただ「何もしない」状態を3日間、さらにはあと数日続けなければならないわけで…。
その状況を思うと、「本当にこれで大丈夫なのか」という震えるような不安が押し寄せてきたのを覚えています。
そんな中で気づいたのは、僕が普段どれほど「何もしない」ということに対して強い恐れを抱いていたか、ということです。
自分の中でそれを感じ取りながら迎えた瞑想の4日目。
焦りや不安が押し寄せる中でも、少しずつ自分自身と向き合う感覚が芽生え始めた日でした。
涙が止まらない多幸感と『今ここ』の感覚
4日目、ついに本当にすごい体験をしました。
それは「完全に考えない状態」を体験した瞬間です。
おそらく生まれてからこの感覚を味わったのは初めてだったのではないでしょうか。
もしかしたら、幼い頃には似たような感覚があったのかもしれませんが、大人になってからは一度も味わったことがないような感覚でした。
その「完全に考えない状態」がどんなものだったかと言うと、ただ座っているだけなのに涙が溢れ出して止まらないんです。
胸がいっぱいになるような幸せ、言葉では表しきれない多幸感に包まれていました。
それだけでなく、目を閉じて座っていると、自分と周りの境界線が曖昧になり、「自分」と「この世界」や「宇宙」とのつながり、一体感のようなものを強く感じました。
よく「ワンネス」という言葉が使われますが、それを体感したんです。
ただただ「今ここ」にいる感覚。
それは、よく言葉としては聞くけれど、実際に心からそれを感じるというのはとても稀なことだと思います。
その時は、とにかく考えのない世界がこんなにも快適で、幸せで、素晴らしいものだということを初めて知りました。
この体験を通じて、僕はたくさんのことに気づきました。
普段の僕は、頭の中で終わりのないおしゃべりを繰り返し、考えに自分自身を縛りつけていたんです。
「こうあるべきだ」
「これをしなければならない」
「あれをやらないとダメだ」
といった、自分で作り上げたルールや思い込み。
それによって、焦りや不安を抱え、後悔し、そして「自分はダメだ」と自分を責めたり、周りをジャッジしたりしていたことに気づきました。
さらには、こうした思考が、どれほど自分の人生を窮屈にし、自分自身にブレーキをかけていたかということもわかりました。
僕が抱えていた多くの悩みや不安、それらすべてが、自分の頭の中にある思い込みや考えによるものだったんだ、と深く理解する瞬間が訪れたんです。
こんなに静かで、何もない「今ここ」の感覚。
この瞑想の4日目は、そんな貴重な気づきと多幸感で溢れた忘れられない日となりました。
頭のおしゃべりと自分を縛るルールに気づいた日
そして、瞑想4日目を通じてさらに深く気づいたのは、僕がどれだけ他人と自分を比較し、無意識に自分を見下したり、逆に他人を羨んだりしていたかということでした。
さらに、「社会の中で活躍しなければ価値がない」という思い込みに強く縛られ、それが今の自分を形作っていたんだなと実感しました。
このような「頭のおしゃべり」が、自分の人生に大きな影響を与えていたんだと気づかされたんです。
この体験は本当に僕にとって大きなもので、頭の中で終わりなく続く考えや思い込みが、いかに自分の人生を支配していたのかを理解するきっかけになりました。
特に、
「こうしなければならない」
「こうであるべき」
という考えが、自分を縛り、行動を制限し、さらには不安や焦りを生み出していたんです。
このことを認識した瞬間、頭のおしゃべりの力は想像以上に大きいと感じました。
そして、この気づきが、その後の僕の人生を大きく変えることになります。
瞑想の後日、僕は潜在意識や瞑想についてさらに深く学びました。
この「頭のおしゃべり」を変えていく方法や、そのメカニズムを知ることで、これを他の人たちにも伝えたいという思いが強く湧き上がったんです。
そして、瞑想や潜在意識に関する学びを広めることを、自分の人生の新たなミッションとすることにしました。
これが、今の僕の活動の原点になっています。
ちなみに、瞑想は4日目以降も続き、最終日である11日目までやりきることができました。
もちろん、その間も思考が頭の中でぐるぐる巡ることが何度もありました。
でも、あの「今ここ」の静寂と多幸感を体験したことで、何か自分の中に確かな変化が生まれたんです。
それがその後の人生にも大きな影響を与え、今もなお続いています。
こうして振り返ると、あの10日間の瞑想の体験は、単なる一つの経験ではなく、僕の人生を根本から変えるきっかけになりました。
そして何より、この気づきを多くの人に伝えたいという思いが、今の活動を支える原動力となっています。
何もしないことの辛さと、日常の美しさに気づいた瞬間
10日間の瞑想を終えて、久しぶりに家に帰ったときの感覚は本当に特別でした。
布団に横たわった瞬間、なんとも言えない幸福感に包まれました。
例えるなら、長い間刑務所にいた人が自由の身になり、久々にシャワーを浴びたときのような、そんな喜びに近いのかもしれません(実際、僕は刑務所に入ったことはありませんけどね)。
10日間だけの修行でしたが、あの体験はもしかすると、刑務所にいるよりも辛い部分があったんじゃないかとさえ思います。
それほど「何もしない」ということは、とても厳しく、苦しいものでした。
だからこそ、修行を終えて日常生活に戻ったときの自由さが、ものすごく輝いて見えました。
「毎日、何をしてもいい」という当たり前の自由が、こんなにも素晴らしいものだと感じたのは、あの10日間の瞑想があったからです。
布団の心地よさに感動し、その日の夕食に食べたカツ丼の美味しさには涙が出るほど感激しました。
あの時は、「この世の中にあるものは、なんて美味しいんだろう」と心の底から思ったんです。
これも、何も食べられないわけではないけれど、制限の多い10日間を過ごしたからこそ味わえた感覚でした。
このような瞑想体験をしたことで、改めて自分の思考がどれだけ自分の人生に影響を与えているのかを実感しました。
特に、
「こうあるべきだ」
「こうしなければならない」
という頭のおしゃべりや思い込みが、自分自身を縛り付け、可能性を狭めていることに気づいたことが大きな学びでした。
これに気づいたことで、「どうせ思考するなら、もっと前向きな思考を選んでみよう」と思えるようになったんです。
この10日間の瞑想体験が人生に与えた影響はとても大きく、今ではその経験を活かして瞑想や潜在意識の大切さを広める活動をしています。
ちなみに、この「ヴィパッサナー瞑想」は、千葉や京都でも実施されているので、興味がある方はぜひ挑戦してみてください。
やってみる前は難しいと思うかもしれませんが、経験することで得られる気づきは本当に価値のあるものです。
最後に、皆さんにお伝えしたいのは、あなたの考えがあなたの人生を作っているということです。
もし自分の思考が後ろ向きだと感じたら、それに気づき、それを手放していく練習をしてみてください。
これは訓練によって、少しずつ変えることができます。
そして、前向きで、自分を尊重するような思考を選ぶことで、あなたの人生はより素敵なものになっていきます。
ぜひ、自分を信じて、一歩ずつ進んでみてくださいね。
あなたの人生が明るく、前向きなものでありますように。
いってらっしゃい!
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