「人と比べてしまう方へ」自分の豊かさに気づく生き方
音声配信を文字起こしをしています
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おはようございます、JAYです。
今はベトナム時間で夕方6時半、日本時間だとちょうど8時半ですね。
この時間、海に夕日が沈み、空は何色もの色に染まっていて、本当に美しい夕焼けが広がっています。
そんな中、そんな海の前にあるバーの近くから収録していますので、もしかしたらバーのBGMや波の音が少し聞こえるかもしれません。
今日はお昼からビーチマッサージに行ってきました。
波の音を聞きながら1時間、しっかりとマッサージしてもらって、心も体もほぐれたような、とても良い1日でした。
他の時間は、少し仕事をしていたんですが、昨日と今日とで少し忙しかったので、明日からは予定が空いて、ゆっくりと仕事を進めていきたいと思っています。
劣等感の正体と、遺伝が握る鍵
さあ、今日はですね、「人と比べてしまう方へ」というテーマでお話ししたいと思います。
人と比べてしまう方、多いんじゃないでしょうか。
実は僕自身も、人と比べて自分をダメ出ししながら生きてきたタイプの人間なんです。
今でさえ、たまに「比べてるな」って自分で気づくことがあります。
無自覚のうちに人と比べて、「自分は劣ってるなあ」なんて思ったりすることって、誰にでもあるんじゃないかと思います。
今日は、その“比べることの無意味さ”について、少し語ってみたいなと思います。
優秀な人や、すごく能力のある人を見て、「あの人はすごいな、自分はダメだな」って思うことってありますよね。
でも、そもそもその“優秀”って何かというと、何で優秀なのか?って話なんです。
能力が高い人っていますよね。
話してても、「この人、賢いな」「能力高いな」って感じる人。
でも、それはなぜか?
答えは、ほとんどが“遺伝”なんです。
最近の遺伝子研究によると、人が生まれてくる時点で、もうほとんどその人のスペックって決まっているそうなんですね。
例えば、「自分は努力してここまで来たんだ」って言う人もいるけど、その“努力できる力”さえも遺伝だって言われています。
努力ができるかどうかも、継続力があるかどうかも、それらはすべて“努力というスペック”を持って生まれてきたということなんです。
じゃあ結局、どういうことかというと、“運”なんですよ。
自分が能力の高い状態で生まれてきたのか、低い状態で生まれてきたのか、それはもう自分ではどうしようもないことなんです。
ただ、残念ながら、今の能力主義の社会では、能力の高い人が利益を受けるという、不平等な構造になってしまっているんですね。
能力=幸せ、ではないという真実
じゃあ、「それでも努力したらいいじゃないか?その中で成長していけばいいんじゃないか?」って思うかもしれません。
でも、成長できるかどうか、努力できるかどうかっていうのも、実は遺伝で決まっているんです。
もし自分が「あまり、努力できないな…」と思っているのであれば、それはもう仕方のないことなんです。
諦めてください。
とはいえ、能力が高いから幸せとか、豊かだとかっていうのとは、必ずしも関係があるわけじゃないんですね。
能力が高くなくても、豊かに、幸福度高く生きていくことはできるんです。
これは本当に幸いなことです。
僕たちは、不平等な社会の中に生まれてきたわけですが、運が良い人もいれば悪い人もいる。
これまでの成果が大したことないとか、人と比べてちょっと劣っているなとか、「すごいとこまで行けないな」って思ってる方、ほとんどがそうだと思うんですよね。
というか、能力がずば抜けて高い人って、こんな音声を聞いてないと思うんです。
なので、僕と同じように、あなたも「大した能力はないな」っていうことを、まず受け入れてみてください。
ただ、それで
「幸せになれない」
「豊かに生きられない」
っていうわけでは、まったくないんです。
豊かに生きるっていうのは、そもそも“豊かさの定義”を自分で決めてしまえばいいということ。
何が豊かかは、自分で決めていい。
そういうルールなんです。
だから、豊かに生きること、幸せに生きることは、誰にでもできるんです。
比べることの無意味さに気づいた人から幸せになる
逆に言うと、能力が高い人たちっていうのは、同じように能力の高い人たちと競い合い続けているんですよね。
だからこそ、なかなか“幸せとは何か”に気づきづらいという現実があるんです。
能力が高い人ほど、さらに高い能力の人と自分を比べてしまう。
常に上には上がいるからです。
結果的に「幸せかどうか」で考えると、僕らのように「大したことないな」「まあこれが自分だな」って諦めて、そして受け入れて、その中で「じゃあ、自分にとっての幸せってなんだろう?」って考えてみる。
そこから“幸せの探求”が始まり、豊かな旅がスタートするんです。
自分の中で「これが自分だな」って思いながら、自分軸で生きていく。
自分にとっての幸せや豊かさの定義を、自分で決めていく。
そして最終的には、自分にとっての幸せな人生を自分の手で手に入れていく。
それって「気づいたもん勝ち」なんですよ。
誰にでもできることなんです。
能力主義の社会の中で、どうしても能力の比較があるけど、それをちょっと手放してみてください。
例えば、自分の能力を「どうだ、すごいだろ」って誇ってる人を見かけたら、「ああ、この人、たまたま運がよかったんだな」って思えばいいんです。
「努力してここまで来た」
「頑張って能力を伸ばしてきた」
って言ってる人もいるけど、それすらも“努力できる能力”を持って生まれただけであって、ある意味ちょっと滑稽に見えてくるというか。
いやいや、あなた、遺伝子がたまたま良かったんですね、っていうだけの話なんですよ。
それを踏まえたうえで、自分の中に豊かさを持つ。
自分の幸せってなんだろう、自分の豊かさってなんだろう?って、自分で決める。
そして、「ああ、今日も幸せだな」って思いながら生きていく。
これが本当に豊かで、幸せな生き方なんじゃないかなって思うんです。
だからもし、今誰かと比べてしまっているとしたら、それはもうやめていいんです。
比べる意味なんてないんですよ。
だって、生まれた時点でスペックは決まってるんだから。
比べても何の意味もないし、比べたところで
「あなたの方が価値がある」
「あの人の方が価値がある」
なんてこともない。
価値なんて、みんな一緒です。
たとえば犬を見たときに、「この犬の方が価値ある」とか「この犬は価値ない」とかって、ないですよね?
隣の家のポチと、その隣の家のハチ公がいたとして、ポチもハチも同じです。
どっちの方が価値あるかなんて、ないじゃないですか。
それと同じように、人間も宇宙レベルで見たら、活躍してる人も、そうでない人も、一緒なんです。
どっちが上とか下とか、そんなものないんですよ。
比較を手放して、“本当の豊かさ”に目を向けよう
ただ、生まれて、遊んで、死んでいく……。
結局のところ、人生ってそれだけなんです。
気づいたらもうすぐ僕たちも死にます。
だからこそ、誰かと自分を比較することに、もう意味なんてないんですよね。
だから、自分が思う“幸せな生き方”を、自分で考えて、自分で定義して、生きていく。
それができれば、本当に幸せな人生になっていくんじゃないかなって思うんです。
結局、幸せって「気づいていくこと」なんですよね。
日々の中で、自分がいろんな人に支えられていること。
美味しいごはんを食べて、「ああ、幸せだな」って感じられること。
自分の体があって、五感があって、そこから得られる体験を味わえるっていう“豊かさ”。
いろんな景色を見て、いろんな人と愛情を交わせること。
そして、自分の“好き”をやりながら生きていけること。
もう、それだけで十分に幸せなんですよ。
だって、80年前までは戦争の真っただ中で、「幸せに生きよう」「豊かに生きよう」なんて言ってる余裕すらなかったわけです。
戦後の日本では、食べるものを確保するのも必死で、芋一つを手に入れるために、必死に探し回った時代もあった。
でも今は、どうでしょう?
食べるものに困らない。
明日、餓死する心配もない。
ほとんどの人が、屋根の下で眠れて、ごはんも食べられる。
欲しいものも、ある程度手に入る。
そんな時代に僕たちは生きてるんですよ。
だから、自分の“観点”をちょっとだけ変えてみてください。
比較じゃなくて、自分の中の豊かさに目を向けてみる。
そうやって、自分の豊かさを感じながら生きていくことこそが、ほんとうの“豊かな生き方”なんじゃないかなと、僕は思うんです。
ということで、もし今、誰かと比べて苦しくなっているとしたら、それは「意味がないな」って気づいて、自分の中にある豊かさを、ぜひ少しずつ育んでいってください。
きっと今日も、あなたにとって素敵な一日になります。
いってらっしゃい。
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